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AIと話せる今、人と話す理由── 対話がもたらす“自己確認”の時間
今はいろんな分野でAIが用いられ、 さして詳しくない私でも、 会話型AIは課金もして常用している。 AIは、ジョブが明確な時には本当に早い。 タスクがどんどん片付いていく。 思考を整理するための『壁打ち』も、 AIでも可能ではある。 けれど、どうにも “向いている” とは言い難い。 明確でないことを言葉にしていく途中で、 AIは“行間”を読めない。 そんな時は、AIと話しても堂々巡りで進まない。 話のポイントをわかってくれないし、 「今そこじゃないの!」という時に、 的外れな質問をしてくる。 インプットされた “私のイメージ像” が全てで、 何度やめて欲しいと伝えても 「整う」という言葉を あらゆる場面で繰り返し使いたがるなど、 軽い弊害も。笑 (yogaとrelaxationっていう「整う」系を仕事にしているから仕方ないし間違ってはないんだけど…) 一つ会話が進むと、 一つ前の話をすっかり忘れていたり、 全部の話を勝手にまとめて、 全然違う話が出来上がっていたりすることも。 空気を読まないのは、 AIのいいところでもあり、 悪いところでもある。


ふわらないスピ —— 行動とエネルギー、両方で現実を動かす。
正直、スピスピふわふわは信じてない。 綺麗事も理想論も、全然響かないタイプ。 結局、現実を変えたければ行動しかない。 「もうなんでもいいから早くやりなよ」って お花畑マインド系の人を見るたびに思っていた。 でも最近は、これまで関係ないと思っていた “見えない領域”を探るのも ありかもしれないと思っている。 行動の質や量を上げるには、 そもそもの設定=在り方が土台になる。 基盤がなければ 何を積み上げてもグラグラする。 自分ビジネスをしたり、 “自分らしく生きたい人”ほど、 それが顕著に出る。 そしてマインドだけじゃなく、 ボディも整っていないと流れは滞る。 肉体は魂の“神殿”。 ここが汚れていたら、 全知全能な神的パワーは使えない。 …で、私はそれをぜーーーんぶやった。(つもり) 規則正しい生活、運動、瞑想、食事。 在り方もやり方も全部見直した。 地道なチラシ配りも、 抵抗ありまくりの顔出し配信も、 行きたくない集まりへの顔出しも… それでも、現実は「予約が入らない」まま。 インプットもアウトプットも十分やってる。 それでも、変わらない。良くなら


わたしの<いつもの>
人のことはよく見えるのに、 自分事となると気づかないことがある。 「真顔で斜め下を見ているから、ちょっと顔を上げて。 前さえ見たら道があるから。 その先には、みんなと手を繋いで笑ってる未来があるよ。」 そう言われた瞬間、ハッとした。 全くの無意識、ノーマークだったけど、 それが私の“いつものパターン”だった。 やり始めると、いつの間にか集中している。 完成形がはっきり見えていて、 そこに向かって動いている。 レッスンナンバー1の独創性と集中力、 ソウルナンバー5の具現化力、 そしてコアとファンデーション6の繊細さ。 それが、私。 “完璧にしよう”としているわけじゃない。 ただ、鮮明なイメージを 具現化しようとしているだけ。 でも、全体の流れで見たら、 もう少し軽く進めてもいい場面で ディティールを整えることに 夢中になりすぎている時が確かにある。 一つひとつを仕上げようとするうちに、 感覚も知能も総動員させていて、 終わる頃には、どっと疲れている。 だから新しいことや予期せぬ展開には、 腰が重くなって、“面倒”が先に来てしまう。 フォーカスしすぎ
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