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賢者は孤高に静寂の中で口を閉ざす?

  • 執筆者の写真: Sary
    Sary
  • 3 日前
  • 読了時間: 3分

更新日:16 時間前



私はヨガの哲学にとても心を惹かれていて、

それはとっても救われる気がしたから。


「賢者は孤高である。」

「静寂の中で口を閉ざす。」

「望まない。」

「群れない。」


そんなことを聞いて、

うんうん🙂‍↕️と頷いていた。


人見知りで、大人数が嫌いだから

できる限り他人との交流を避け、

自己完結の世界で

孤独に暮らしていた自分を

肯定された気がしたから。


それによって

私はますます人に頼ることを避け、

面倒なことを避けてできるだけ一人でいようとし、

1人の世界に閉じこもっていた。

(ヨガ数秘学レッスンNo.①)


それが

「精神的に成熟した在り方」だと信じていた。

古代からの教えもそうだと言っている、と。


でも、ある時気が付いたのは、


私が静かだったのは、

本当に満たされていたからではなかったこと。


傷つくことが怖かった。

否定されることが怖かった。

期待しても叶わないことが怖かった。

自分が「出来ない」ことを直視するのが怖かった。


だから、自分から望まないようにしていただけだった。

どうせこんなものだろうと諦めていた。


それが、受け入れること

surrender することだと思っていた。


人とのつながりを諦め、

自分の本音を閉じ込め、

望むことを忘れてた。


「欲しがれば欲しがるほど欲しくなる」

だから、今が十分だと知ることが必要。


そしてただ、「今」という瞬間瞬間だけを見ることで

本当は我慢していることや

こうなりたいと思っていることを

直視することから逃げていた。


でも、私は「足りない存在」なのではなくて

「満ち足りている存在」という視点に立った上で、


それでもその命を輝かせるために

どうするか。どうしたいか。という望みを持つのは

悪いことなのか?と思い当たった時、


経典に従って、来る現状をただただ受け入れて

どんどん貧しくなっていく生活の中でも

これがやるべきことなんだと思い込むことが

本当に私の望む人生なのか、改めて考えた。


確かに今、呼吸している。動く体がある。

壁も屋根もあって、お湯も出れば電気もつく。

それで幸せ、これがお役目😌

って世界線で居続けてもいい。


でも、この令和の時代に

手を伸ばせばなんでも届く時代に

それをやり続けたいのか。


献身的に修行していれば

いつか来るはずだと思っていた豊かさは

なかなか来ない。


もっと永くやり続ければ

本当に向こうからやってくるのだろうか?



あれ?私は豊かさを望んでいるのではないのか?


そう気が付いたので、

私は豊かな世界を望むことに許可をした。

人と交流することにした。

欲にも感情にも許可をした。


それがあってもなくても完璧なら

ある方を選んでもいいじゃないか、と。


でもあくまでベースは不足ではない。


経典も言う通り、

私たちには自他の区別もなく、

そして既に満ちている存在である。

 
 
 

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