世界平和祈願
- Sary

- 8月9日
- 読了時間: 3分

幼少期を長崎で過ごした私にとって
夏は怖いものでしかなかった。
暑くなっていき、蝉が鳴き始めることが
恐怖の季節への合図だった。
テレビ番組は原爆の特集で埋め尽くされ
毎年8月9日の登校日には
下駄箱から廊下まで構内にずらっと
原爆資料館さながらの資料が
目線の高さに張り出される。
目を伏せたくても入ってくる。
全校集会では毎年被爆者による
悲痛な体験談がまことリアルに語られる。
とてもSNS上で文字にできるような内容では無い。
耳を伏せたくても伏せられない。
息も苦しく恐怖に苛まれた。
頭や心の中まで浸透するほどに教え込まれ
些細なことでも関連付け
日常生活でも恐怖を持っていた。
水洗トイレに流れる水の様子が
キノコ雲に見えて怖かった。
流す水の音さえ怖く感じた。
お風呂で洗髪した後、
この後目を開けたら
一面が焼け野原になっているのでは…
などと、怯えていた。
8月6日と9日のそれぞれの時間には
街中にサイレン音が響き渡り
県民は何をしていても立ち止まり
頭を下げて目を閉じるのが当たり前だった。
私の祖父母もその日のことを知っている。
どこにも逃げ場のない平和教育だった。
一方、18歳で長崎を出て
大阪で大学生活を送る中、
物心ついてから初めて
8/9 11:02 黙祷をし忘れた。
サイレンは鳴らないし、
周りは誰も気にしていない。
そういえば夏になってもテレビ番組は
いつもと変わらないラインナップだった。
平和ボケだ。と、思った。
大学では教員免許取得のための
教育課程を取っていたが、
関西圏出身の多い生徒たちにとって
道徳の授業といえば、同和教育だった。
長崎では道徳の授業も
当然、平和教育だった。
これほどまでに意識が違う。
国内でこれだけの差があるのだから
被爆国で無い他国との温度差は
どうやったって埋まらないのだろう。
大人になっても
戦争や爆風、爆音は今でも無理。
過呼吸になれるほど。
基本的に映画館は怖い。
あの臨場感は売りなのだろうけど。
戦争史跡だけでなく、
産業遺産系の建物も、まるでダメ。
きっと元々怖がりではあるのだろう。
それでもこの歳になって平和式典は
なんとか観られるようになった。
YouTubeでLive中継を
いくつか観てみても
同じ式典のはずなのに
長崎ローカル放送局と
全国ネットの放送局では
届け方が違う。
式典内でのスピーチの内容も
長崎の人と、遠くの人では
全く違う。
苦しみのベースが根本的に違う。
例え同じように教育を受けても
私のように過敏に受け取る人ばかりでは無いが、
苦しみの植え付けが良いとは思わない。
でもね、ある程度は
知っておいて欲しいな、とは思う。
戦争を施策とだけ捉えて
政治批判や見せ方批判している人や
映画やドラマなどのエンタメとしてしか
捉えていない人にも。
ゲームでもフィクションでも無い。
日本に起きた、たった80年前の出来事。
過去のことではなく、今でも続いている。
どうかどうか、世界が平和でありますように。
一人一人が穏やかで調和してあれますように。












