心と体が繋がっているように、それらとエネルギーも繋がっている。
エネルギーを高めるために体を調整することもできるし、体を治し心を癒すためにエネルギーを調えることもできる。
体が良好で良いエネルギーが巡れば心も弾む。
例え肉体的不調があっても、内なるエネルギーの循環があれば気に病まずにいられる。
逆を言えば、エネルギーが乱れれば体も心も不調になる。
全部繋がっているからどこから取り掛かかることもできる。好きなところ、得意なところからやればいい。
それぞれのバランスも、全体でのバランスも両方大切。
エネルギーでもエナジーでもプラーナでもマナでも氣でも、名前はなんでもいい。
それは私たちの内側にも外側にもこの世界に充満していて、常に影響し合っている。
見えないものを信じない人でも、気持ち/気合い/元気/気力/根気/覇気/お気に入り/気分/雰囲気etc…日本語で『気』で表現される言葉の実態が『ないけどある』ことは潜在的にわかっているし、使っている。
頭で考えて理解することではなく、腹の底で知っている。
(腹の底と言えばチネイザン。。
腹の底の確信がない人はお腹を耕すこともチネイザンセラピストとしてはお勧めしたい。これも肉体的な影響だけでなく、ものすごくエネルギーを巡らせることにもなる。もちろん精神面にも。)
大気や光や音がそうであるように、この世界に充満しているエネルギーは、そう一言で言っても実に様々。
目に見えない上に、肉体という境界線も簡単に越えるので、知らないうちに好ましくないエネルギーを拾ってしまう可能性にも晒されている。
要らないものは一瞬触れても手放せられれば良いが、自分のものとして抱え続けていると、体や心のあらゆる方面の不調に陥ることにもなり得る。
自分にとって要らないものをわざわざ受け取り、大事に抱える必要はない。
エネルギーに振り回されるのではなく、うまく付き合うことができれば、癒しや活力を得たり与えたりでき、要らないことで怒り悩み傷付かずに済む。身を護る手段の一つになる。
良いエネルギーは個人の健やかな日々を助けるだけでなく、他者に対するセラピーにも、物や場所の浄化にも、魂(霊性)の成長にも、世界平和にも。
使い方はその人次第。
体を動かして鍛錬することや、リラクゼーションマッサージで癒すこと等でも、体内のエネルギーは巡り調っていくが、エネルギーでエネルギーを調整するのが霊気。
用いるのは大宇宙のエネルギー。個人のエネルギーではないので、消耗も枯渇もしない。
安全で心地よい愛と癒しの高次なエネルギーが霊気と名付けられ発祥の地日本で広められるようになってから100年が経過。
様々な変遷を経ながらも、この100年間そのエネルギーのことを研究し、代々継承し続けてくれて来た先人たちがいる。
エネルギー回路を通す方法や、そのエネルギーを高めるお作法も用意してくれている。
霊気を通じて、生きることはどういうことか、生を全うするための指針まで丁寧に説明してくれる。
日本の優しくて温かい“お手当て”の文化。
参考にしたいところだけするのでも良い。
100年という期間をどう捉えるかも自由。
霊気と呼ばれるその源と、わざわざ教わらなくても腹の底でわかっていつも繋がり調和が取れている人は心配ない。
健全に生きる、つまり生命活動を正常に営ませるために欠かせないもの、調和。
調和のあり方を教える一つであるレイキの考察は、どの方にも役に立つのではないだろうか。
エネルギーがわからなくても、感じなくても、時を経て感覚が育つこともある。
でも本当は、大宇宙の愛と癒しエネルギーは私たちが存在する遥か前から常にそこにあるので、そうだと思っていればそれだけで十分。
捉えやすいものだけ捉えている場合の感覚は、進化でなく退化であることもあるそうである。
思うだけでいいということが腑に落ちれば、いつかはお作法も必要なくなってくる。
それが意図の力。意図もエネルギーの一つ。
全ては素粒子だから、思うだけでエネルギーは動く。
手技や効果の素晴らしさよりも、人間性・霊性の成長や生を活かすことの重要性を説いてくれる系統に巡り会えたのは私個人的に大変有難いことである。
愛と感謝と、常に調和し、共にあれますように。
令和5年新年霊授会
2023/1/28 @明治記念館:東京